蜃気楼
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蜃気楼(しんきろう)とは密度の異なる大気中で光が屈折し、起こる現象。光は通常、直進するが、密度の異なる場所では密度のより高い方へ進む性質(屈折)がある。
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種類
大気の密度は大気の温度によって粗密を生じるが、低空から上空へ温度が上がる場合、下がる場合、そして水平方向で温度が変わる場合の3パターンがある。それぞれによって蜃気楼の見え方が異なる為、以下のように分類される。
上位蜃気楼
元となる物体の上方に蜃気楼が出現する。このタイプの蜃気楼は珍しい現象であり、日本ではオホーツク海沿岸周辺(北海道)、富山湾周辺(富山県)、琵琶湖周辺(滋賀県)の3箇所でのみ確認されている。水平線(地平線)の下に隠れて見えない風景や船などが見える場合があり、通常ニュースなどで取り上げられる蜃気楼は、この上位蜃気楼を意味する場合が多い。
下位蜃気楼
最も一般的に目にする機会の多い蜃気楼であり、物体の下方に蜃気楼が出現する。 ビルや島などが浮いて見える浮島現象や逃げ水現象もこのタイプに属する。
鏡映蜃気楼
物体の側方に蜃気楼が出現する。報告が最も少なく、極めてまれな現象であると言える。スイスのジュネーブ湖で目撃されたという報告がある。また、日本で不知火(夜の海に多くの光がゆらめいて見える現象。九州の八代海、有明海などで見られる)と呼ばれるものも、このタイプの蜃気楼に属すると言われている。
歴史
蜃気楼と見られる記述が初めて登場したのは、紀元前100年頃のインドの「大智度論第六」まで遡る。この書物の中に蜃気楼を示す「乾闥婆城」という記述がある。また、中国では『史記』天官書の中に、蜃気楼の語源ともなる「蜃(あるいは蛟)が吐き出す吐息によって楼(高い建物)が形づくられる」という記述がある。日本語で「貝やぐら」とも言われた。また、「mirage」という単語は、ナポレオン遠征時にモンジュが命名した[要出典]。
日本では1698年にしたためられた『北越軍談』(駒谷散人)内に上杉謙信が蜃気楼を見たという記述があり、これが最古の記録となっている。また、『魚津古今記』(1700年頃)では、加賀藩当主、前田綱紀が魚津で蜃気楼を見て吉兆であると「喜見城」と名づけたと伝えられていたり、その他、同じく加賀藩当主、前田治脩は、1797年4月に江戸から金沢への参勤交代帰城道中に魚津で蜃気楼を発見し、その絵を描かせたと伝えられている。
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